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ABOUT DUKE

“DUKE KAHANAMOKU” 8 STORY

1.「ビーチボーイとアロハシャツ」

アロハシャツデザイナーのフランシス・デルペッシュはこう語っている。「デュークはハワイアンシャツが流行する以前からシャツの革命を起こしていたのです。当時、少年や一部の男性たちは、暑い日にシャツの裾をズボンの中に入れずに出していました。それを見苦しいと思ったデュークは、裾をまっすぐにカットしたシャツを思いついたんです」と。それは第二次世大戦よりもずっと前のことで、このシャツこそ最初のハワイアン・スポーツシャツであった。


“DUKE KAHANAMOKU” 8 STORY

2.「映画におけるハワイアンファッションへの功績」

1953 年の映画『地上より永遠に』にて、俳優モンゴメリー・クリフトとアーネスト・ボークナインがデュークのアロハシャツを着て登場。この映画によって見事な復帰を果たしたフランク・シナトラをはじめ、共演者たちが着ていたシャツに注目が集まった。このようにデューク・ブランドのハワイアンシャツは、それまでローカルな存在であったハワイアンファッションをアメリカ全土で注目されるほどのアイテムにまで押し上げた立役者でもあった。


“DUKE KAHANAMOKU” 8 STORY

3.「天性のスイマー」

1890 年に生まれたデュークは、3歳の時すでに泳ぎを習得していたと言われている。「父が泳ぎを覚えさせるためにカヌーから落とすので、泳ぐしかなかったんだ。」と語るデューク。両親から海と共に生きるということを強く教えられ、その才能は水泳という競技によって開花する。デュークは21 歳の時に100 ヤード自由形の世界記録を4.6 秒も縮め、その年の大会では220 ヤードの世界記録をも塗り替えてしまった。まさに彗星のごとく現れた無敵のスイマー、デューク・パオア・カハナモク。


“DUKE KAHANAMOKU” 8 STORY

4.「ムービースターとしてのデューク」

アスリートとしての名声を得て、彼は通算で30本もの映画に出演。『逃走の島』『海のロマンス』の他に、『怒濤の果て』では名優ジョン・ウェインとの共演も果たす。様々な人物との出会いがアロハシャツ・プロモーターとして、時にはビジネスマンとしてアメリカ全土を駆け巡り、「アロハ」というハワイ文化の伝承に力を注いだ彼の成功を後押ししたのである。デュークが伝えたかった「アロハ」とは、シャツだけでなくハワイ全ての美しいものを意味し、彼の周りには常に笑顔が絶えなかった。


“DUKE KAHANAMOKU” 8 STORY

5.「オリンピック・メダリスト、“デューク・カハナモク”」

1912 年に行われたオリンピック予選会において、200m自由形で世界新記録を樹立。その年のストックホルムで開かれたオリンピックへの出場を果たし、100m自由形で金メダル、800mリレーで銀メダルに輝く。8年後の1920年アントワープ五輪でも前回のストックホルムと同種目に出場し、ともに金メダルを獲得。さらには4年後のパリ五輪でも100m自由形で銀メダルという、まさに超人的な記録の持ち主である。それがキング・オブ・スイマー、“デューク・カハナモク”。


“DUKE KAHANAMOKU” 8 STORY

6.「サーフィンの伝道師」

ハワイ王朝時代には多くの人々に愛されたサーフィンも、1930 年代当時に夢中になっていたのはワイキキのビーチボーイたちだけであった。こよなくサーフィンを愛していたデュークはその状況に満足できず、世界にサーフィンをスポーツとして広めると決心し、10年もの歳月をかけてオーストラリアやアメリカの海岸でサーフィンを紹介した。彼は何百もの人達に波乗りの楽しさを教え、各地にサーファーの数を増やしていったのである。その中にはイギリスの王子をはじめとする各国の著名人も数多く含まれていた。


“DUKE KAHANAMOKU” 8 STORY

7.「アロハシャツ・プロモーターとしての顔」

1940 年代の戦争における輸出規制によって大きく打撃を受けたアロハシャツ業界。デュークは知人の紹介のもと、ニューヨークとカリフォルニアに拠点を置くアメリカ本土の大手メーカー、シスコ・カジュアルズ社のアロハシャツをプロモーションする契約を結んだ。東海岸の大都市をターゲットとしたファッションショーやパーティーなどを皮切りに、デューク本人が全米中をまわる宣伝活動を展開。名を馳せた活躍から20 年以上を経てもオリンピック・ゴールドメダリストという栄光は色褪せず、当時のプロモーションは大成功に終わった。


“DUKE KAHANAMOKU” 8 STORY

8.「愛するハワイのために」

デュークはホノルル市及びその周辺の地域を管轄とする保安官に選出され、12期連続で職務をはたした。世界的にも名の知れたデュークが保安官をしているとあって、時には本土の保安官が彼を訪ねてくることもあった。これもまた、ハワイとその島々に暮らす人々を愛していたからこそである。その後もデュークは、アロハ親善大使としてハワイを訪れる人々を温かく迎えた。彼がハワイでもてなした人たちにはエリザベス女王、エルビス・プレスリー、ベーブ・ルースといった各界を代表する人物たちも多く含まれていた。


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